湯田孝次ドットコム (経営と教育の総合コラム)

「経営・営業・教育・イベント」を軸とした日記総合コラム。独自の営業力と経営力を醸し出す。 やる気にさせる魔術師 -------------------

2017 朋遊館ライブ

今年も 朋遊館ライブ開催です。

【開催する理由=コンセプト】
 何かをやらないと出会い無い、何かをしないと繋がらない、何かを…。それが朋遊館の音楽ライブ。
 何らかの機会で出会ったり、繋がったりした人達と、縁をたぐり寄せるための年一度の大饗宴。だから一人一人が、かけがいのない財産。「出会いの数だけ夢が有り、出会いの数だけチャンスが有る。」をモットーに、NPO法人「朋遊館」の幸せ追求活動です。


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日にち
平成29年8月3日・木曜日

時間  
開 場 / 12:00〜
開 演 / 18:30〜
終 演 / 21:00
定員 100名

料金 4000円/飲食付き(持ち込み可)

演奏 大須賀ひでき  玉木孝治 葉月他

協賛
蠧別撻肇薀鵐好優奪函↓螢Εルライフ
那須訪問診療所、 adtown 他数社
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ライブでは頑張っている人達やグループ団体の支援及び活動発表の場としても利用頂いています。

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湯田孝次の介護日記

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この写真が晩年の母の在りし日だ。思い起こせば死期を悟ったかのように俺の傍を離れようとしない。ただジーッと黙して座っているだけ。おしゃべりだっただけに、違和感すら漂っていた数日後、脳幹梗塞を発症。

4月10 日深夜2 時頃、呼吸停止「お迎えが来てしまった」。涙があふれ、こらえきれなかった。


母の死を看取るってことは自分の感情全開にして全身で受け止めるということなんだ。感謝の涙であり、生からの卒業の涙であり、母の思いを確信する涙であり、超複雑で、なんとも形容の出来ない涙であった。私の全身から涙があふれた瞬間だった。
葬儀には母から受け継いだ遺伝子達がいっぱい集まった。兄弟達、孫達、曾孫達総勢40人を超える。いっぱい、いっぱい遺伝子を残し、今度は仏様の花嫁になるためにと花嫁衣装であの世へ送り出した。
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思い返せば「親を看取る」(別称:ターミナル)ことは私の悲願でもあった。
親孝行は80 点ぐらいだったような気もする。一応の満足感があり、そしてまた少しだけ角が取れ丸み帯びたような気がする。周囲にも感謝の念が深くなった。



在宅療養は、なかなか大変だったが、全く異次元の幸福感というものもあった。在宅にてターミナルまで介護できたことは、医師、看護師、理学療法士、そしてケアーマージャーの存在は、とても有難かった。施設では「家に帰りたい」「家に帰りたい」哀願していたお袋。私の元で暮らし始めてからは「ここは病院と同じだぁ」と満足げ、自分をよく知っている人や場所での暮らしに優る生活は無い。そんな自己価値観を抱きながらの3年間の暮らし艱難辛苦のお袋の人生の中で安らぎを覚えてくれていたのならありがたい。
〈合掌〉

第1回目 絆杯ゴルフコンペ開催。

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平成29年5月30日(火) 第1回目 絆杯ゴルフコンペ開催。                            
天候にも恵まれ、快晴30度超え真夏日の下でのプレーとなりました。
総勢参加者40名。会長湯田氏、実行委員長関口氏呼びかけの下、関係各社から多数の参加を頂きました。
那須訪問診療所、訪問看護ステーション那須、(株)栃木トランスネット、榊原会館、詁東タイヤ商会、株式会社愛ジャパン以上6社より協賛いただき、豪華な景品を多数用意することが出来ました。
ご協力感謝申し上げます。
第2回目は10月中旬頃開催予定。
ゴルフ上級者も初級者も楽しく、気軽に参加でき、絆を深められる、そんなゴルフコンペを目指していきたいと思います。
ご参加頂いた皆様どうもありがとうございました。
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湯田孝次の介護日記 最終章

yuda-katsyu長かったようで短かった介護生活。
たった今永眠した。4月10日、享年94歳。

3月11日娘が九州から帰省したときは一緒に食事が出来ていたが3月24日から様子がおかしくなってきた。

 

表情が全く無くなり、続いて軽い肺炎を起こしたが早期治療し3日で回復、しかし依然無表情は続いていた。「ぐれているんだ」とジョークを言いながら様子を見ていたが電話で兄に相談。 3月28日その兄が思い出の品を持って来てくれて喜んでいる様子にホッとしたのもつかの間、次の日からは、トイレに行かなくなり嫁を困らせていた。仕方が無いので俺が自分で糞尿の処理とオムツの交換をし始めた。 4月に入ると、とてもリハビリが出来る状態では無くなり、ただじっと座っているだけたまに発する言葉は意味不明となり息子の俺でさえ理解不能となってしまった。 ちょっと席を外しただけで「コージは?」と探し回り不安がっていた。
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そして4月9日の朝6時、うつぶせで寝ていたので、やれやれと思って寝床まで運ぼうとと抱きあげると、やけに思い。そして無反応。一晩中徘徊していたので爆睡しているのかな?と思って、しばらく側に居てあげたのだがam10時頃からイビキをかき始めたので急変にようやく気づき看護師と医師に電話コールをした。10分ぐらいで到着。「重大なる脳梗塞」と診断。いつかはこんな日が来るとは覚悟はしていたが、いざその瞬間を迎えると涙が止まらい。寝ているんじゃ無く、意識の無い昏睡状態だったんだ。


午後2時、命が持たないことを実感し、兄弟親戚に「命のある間にお別れを」と伝えると明日の朝一番に来てくれることとなった。夜10時、孫にあたる千春が宇都宮から駆けつけてくれた。看病を交代し少し休むこととなった矢先、「呼吸が止まった!」と叫びだし心肺蘇生を試みるも、あの世に飛びだってしまった。深夜の2時うしみつどきの刻だ。永野看護師&菊地医師の処置は朝4時まで続いた。そして今この文章を書いている。俺の宝物が消えてしまった。あっという間の出来事だった。

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湯田孝次の介護日2017−2月編

yudanikki201706-01リハビリの甲斐もあって介助があれば少々自力歩行も…。 
まだまだ単独では転倒の危険が伴う。今年は2回ほど転倒してしまった。深夜に時々呼び起こされるのだが眠くて無視すると、翌日「親が呼んでるのだから起きて来てちょっと声をかけるのは息子として当然だ!」と説教される。「真夜中だぞ、勘弁してくれ」と言うと「クス、クス」と笑う。


yudanikki201706-02困ったものだ。今じゃ俗に言う二日ばー化している。 
二日寝て二日起きているバーさんと言う意味だ。
看護師さんに愚痴を言うと「湯田さんだって幼児期に夜泣きをしてオムツも替えてもらっていたでしょう」と言い返される有様。………頑張ろう!!
耳が遠い、物が見えづらい、身体が不自由、歩行も困難。近頃 は「仏様に迎えに来て欲しい」と涙をこぼすようになってきた。 
人の世話を受けながら気を遣って生きている事への我慢が限界を超したときに発する言葉だ。甘えがわがままを誘い出す。
「墓に入りたい」と行って泣き出すとき私は言葉を失ってしまうのだ。
隔週に1度の割合で外食に連れ出す。寒いので外への散歩は控えているものの、こんな時は車窓からジーーと流れ行く景色や町並みを見ている。精気が戻ってくる感じを受けるも のだ。 食べるときは 手づかみ、箸やフォークが上手には使えないので、写真のような食べ方になっている。こん な時の会話はほとんど山菜の話。野山を元気に駆け巡りカツヨの後には山菜が皆無という伝説を持っている。
外気は春の到来を母に惹起させてくれるのだ。


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湯田孝次の介護日記 2017−1月編

yuda昨年末同様、今回も「三叉神経痛」が起きてしまった。

資料によると、この病気は毎年11 月から3 月にかけて発病するようだ。今回は昼夜かなり強い激痛が伴い悲鳴を上げて泣いていた。不幸にも金〜日曜日に発病したものだからこの間食事も取れない状態が続いた。月曜日に薬が届き、ようやく落ち着き始めたが今度は脱水症、血液濃度が濃くなり心臓の鼓動が150 回/分という速さだ。脈が取れない。即座に医師と看護師が対応してくれた。今はもとの元気に戻って、いつもの大きな声で「ひとり言」を言い続けている。

「三叉神経痛」とは、そもそも脳の錯覚。強く刺すよう激痛が顔面を襲ってくるもの。今回は風邪による発症と思われる。( 脳錯覚の始まり)

 
nikki201610_1近頃、深夜トイレに行って帰ってこれなくなり「コージ!!コージ!!」と大声で起こされることがしばしば。ちょっとつらいが頑張って迎えに行くと「ここは、どこだ?」と。トイレまでの距離は10m ほど、白線は引いてあるのだが………トホホ。







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 悔いの残らない人生にするために 湯田

親の面倒は、長男がするものという変な世間常識。
私にとっては大好きな両親、しかし、次男で生まれた私は故郷を離れなければならず、両親とは共に暮らすことはできなかった。
父親が他界したとき、「あれをしてあげれば良かった。こうしてあげれば…」と悔いて悔いて泣きじゃくったものだ。
高齢化は母の自力方歩行を困難にし、認知の発症もはじまった。
母の介護と看取りもしたいと兄と相談。了解を得た。
そして、その為の在宅療養が出来るチームスタッフを集った。
まずは母の看取りを可能とするために、ひとり一人の人生に、正解はないかもしれません。
でも,私が見つけた答えを皆さんにも知って頂きたいのです。


 

湯田浩次の介護日記8月編

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天気の良い日は外でリハビリ体操。 最近すっかり元気、会話も弾み、笑顔が見られるようになった。おかげで日常生活が、明るくなった。 しかし、夜中になると相も変わらず徘徊と独り言。
「子供の夜泣きと思って下さい」とは看護師からのアドバイス。なるほどと納得し、気を治める。
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7月28日は私が主催する「朋遊館ライブ」。ショートスティに預かってもらうとしたが駄々をこね出した。
おとなしくすることを条件に出したら、自分だけが外されることを敏感に感じ取ったみたいで5時間も座って黙って聴いてくれたのには驚いた。疎外感には敏感に反応する。「俺も、私も」の意識は、むしろ本能的だ。

日々の生活で一番気を付けているのが便秘。激しい苦痛が伴う。緊急看護を要請し摘便をしてもらう。会津では便のことを「ばっこ」と言う。久しぶりの言葉だ。
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湯田孝次の介護日記 10月編

yuda◇大正12 年生まれ93 歳、昨年の夏頃は歩くことも困難になり、認知度も高く絶望感もしばしば。
涙するときも。更に、今年の正月は容態が悪化し1 週間にも渡り意識混濁と、オムツの糞尿から膀胱に細菌感染と………………。菊地医師と牛井渕看護師の懸命な支えのもと、徐々に回復。




nikki201610_1◇4月から藤川理学療法士によるリハビリが始まった。最初は嫌がっていたが彼の強い情熱的な意志が徐々にお袋の心の中に浸透し、頑張り出した。「死にたい、死にたい」とこぼしていたお袋が、今ではリハビリ時間を楽しみにしている。右の顔写真が、全てを物語っている。リハビリするときの表情だ。目が生きている。笑うときが多くなり、そんなとき私は幸福感に包まれる。最近は怒られることも増えた。夢の中と現実の境がマバラだけに、そんなときは怒られてあげる面白さを得た。例えば「区長に承諾も得ないで勝手に工作するな」とか「オガが来
ているから探してこい!」とか。オガとはお袋の母親で30 年前に他界している。そんなときはトイレに行って戻ってから「探したが居なかったぞ」と告げると「変だなぁ」と言って納得する(笑)

◇リハビリとは心と身体にあり。対話ケアーと運動リハビリは驚異的にさえ思える。ありがたいことだ。寝たきりになったら次々と病魔に襲われて先が無くなってくるから今の状態は信じられないくらいだ。

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便秘が無くなり、オムツは汚れなくなり、自力で歩行が出来る用にもなってきた。危ないと思って手を指しのべると嫌がるようにもなってきた。昼夜逆転と徘徊は、当たり前になっているので今では配慮が出来、ずいぶん慣れてきた。俺とは余り話さないが、来る看護師さんとは相も変わらず昔の苦労談貧乏談を自慢げに語っている。しかもハキハキと元気一杯に。

リハビリ風景(動画)

湯田孝次の介護日記  6月編

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在宅療養の勧め
・5月19日、93歳の誕生日を迎える。そうか母が30歳の 時に俺を産んだのか、会津の山間の村、戦後の極貧の中で…、と思
いを巡らした。明けも暮れても昔の苦労話。 もう、幾百回聞いたことだろう。しかし、母にはこれしか無いのだ。深夜時々「おがーん、おがーん!!」叫ぶときがある。幾つになっても自分の死んだ母親が出てくるようだ。

・時々「何にも出来ないで、ただ迷惑ばっかりだから死にたい」「生きていてもちっともおもしろくね、だから死にたい」とこぼす。気持ちがわかるだけに俺もちょっと切なくなってくるときが有る。そんな時は「笑顔を見せてくれ、お袋の笑顔が一番嬉しいんだ。だから、健康で長生きしてもらいてぃ」と言うと「そうが」って顔を明るくする。自分の生存の無意味さを実感する瞬間だ。寝床で、おもらした時、便が出ず苦しいとき、多くこぼす。obaatyan
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・看護師の牛井渕さん、リハビリの藤川さんが治療のさなか会話をしているときが一番生き生きとしている。その様子に涙が出るほど感謝の念に包まれる。対話ケアーが、いかに重要で大切なものかと痛感する。kaigo-3
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・俺の寝室にはパソコン映像でおふくの様子を見ることができ深夜の異変には迅速に対応出来る。

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週間費用 12,254 円 ×4週=月間費用
月2回の訪問診療 3,300円〜5,700円
月のお薬代  1,200円
月額 52,000〜5,500円程度

湯田孝次

<誕生年>1953年(昭和28年)
<出身地>福島県南会津
<職 歴>
■23才〜<東京> 
 (出版)月刊アパートマンション情報(編集)
■25才〜<栃木>
ライフアップ情報社(編集長)
 (出版)月刊タウン情報誌の出版編集
■30才〜<栃木>
 (株)ライフアップ学習室(塾長)
 (教育)小学4年〜高校3年を対象とした学習塾
■35才〜<東京>
(株)放送教育研究所 (室長)
 (教育) ラジオ局を媒体としたラジオ放送塾
■40才〜<栃木>
(有)パストラルファーム (園長)
 (農業) 観光農園パストラル・ハーブ・ガーデン那須の運営
■50才〜<栃木>
(株)栃木トランスネット(CEO=経営責任者)
 (運送) 酪農家からの集乳を専門とする運送業
■56才〜<栃木>
NPO法人朋友館(理事長)
 (福祉)高齢者対策事業と広報誌の編纂

**経営コンサルタント;経営アドバイザー**

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